浄土真宗本願寺派 旭界山 長光寺

富山県高岡市石堤にある浄土真宗本願寺派の寺院。 山号は旭界山。本尊は阿弥陀如来。

寺伝によれば、1340年(興国(こうこく)1年)宗良親王の越中入国に随ってきた織田氏知が、出家して超円と号し、石堤谷内に開いた天台宗寺院を起源とする。
1369年(応安(おうあん)2年)浄土真宗に転じ、1515年(永(えい)正(しょう)12年)ごろから興正寺(現京都市)派として教線を広げた。
1564年(永禄7年)には本願寺の番役費350文を負担。
1568年(永禄11年)には増山城神保勢の射水郡西条攻撃に際し、砺波郡五位庄門徒を結集して対決するよう勝興寺から求められている。五位庄小矢部川流域に強大な教勢をもっていた。

以上が当寺の創建概略で、開基が武士であったためか明治期まで常に情勢に翻弄される五百年間であったようである。
江戸期には加賀藩二代目藩主前田利長公の正室玉泉院(織田信長の四女)の乳母が第八世住職慶永のもとに嫁いでおり、前田公ゆかりの書状等も蔵している。明治期に入り、一向宗が浄土真宗と宗派名を改めてからは本願寺派となり現在に至っている。
戦後は、門徒会、仏教婦人会、仏教壮年会、仏教青年会、石堤子供会等を結成し幅広く年代を超えて門信徒と共にお念仏相続の活動を行っている。

旭界山(きょくかいざん) 長光寺(ちょうこうじ)
住職:第二十三世・織田隆夫/釋一乗